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第6話 確かにそこにあった殺意

last update Last Updated: 2025-11-20 09:30:41

 その後、イルゼは急ぎヨハンを処置した。幸いにも傷は浅く大事に至っていないようで、処置をして間もなく出血は止まった。

 イルゼは幾度もヨハンに詫びたが「気にしてない」と彼は優しくイルゼを窘めた。

 どこまでも懐の広い義兄だ。だが、そんな優しさが酷く胸を締め付ける。

 とんでもない罪を犯してしまったのだ。これからどう償えば良いのか……。

 ヨハンの処置を終えたイルゼは深いため息をついた。

 リンダは恐らく自警団を呼びに行ったのだとおぼしい。辺鄙へんぴな場所にあるこのボロ屋敷からツヴァルクの街は幾分か離れている。自警団の男たちを連れて戻るには恐らく一時間近くの時間がかかるだろう。

 しかし、それにしてもリンダは薄情だとイルゼは内心呆れ返っていた。

 彼女からしてみればヨハンは実の兄。まるで自分の身を守るよう、逃げるように怪我を負った兄を撥ね除けたのだ。

 ああも取り乱していたなら仕方ないと思うが、普通であれば義兄を心配して、怪我の手当をすぐに当たるだろうに。それに、イルゼだってすぐに正気に戻っていたのだ。

 あの上から目線で顎をそびやかし──「さっさと自首に行って」と言えるだろうに。

 まぁ、肉切り包丁を振り回した自分が言えたものではないが……。

 そう思いつつ、イルゼがため息をつけばヨハンの苦笑いが間近から聞こえた。

「多分、リンダが自警団を連れてくるだろうけど、俺が上手いこと説得する。交渉は得意だからな。包丁を振り回したのはマズイだろうけど……脅しであって、殺意は無かったんだよな?」

 優しい眼差しを向けてかれるが、イルゼは答えることができなかった。

 そんな訳がない。あの瞬間……間違いなく、殺意に支配されていたのだから。

「それより、義兄にいさんはお医者さんに見て貰わないと」

 怪我の方が気がかりだ。と、眉を下げてイルゼが言うと、ヨハンは少し厳しい顔をした。

「答えになってない。どっちなんだ。殺意は無かったんだよな?」

 ヨハンはイルゼの肩をガシリと掴んで真っ向から同じことをく。

 イルゼは唇を固く結んで黙り込んでしまった。

 ……だが、やはりどう答えて良いか分からなかった。

 髪を切られて、積もり積もった憎悪が破裂した。

 その時ばかりは確かに殺してやりたいほどに憎く思ったが。冷静さを取り戻すと、そんなふうには思わない。

 今となれば、髪を切られたくらいで……とは思う。

 確かにショックだったが、怪我を負わされたわけではないのだ。

「どうなんだイルゼ」

 静かにかれて、イルゼは瞼を伏せて首を振る。

「髪の毛切られた時に、頭に血が上ったの。義兄にいさんごめんなさい。義姉ねえさんのこと、衝動的に殺したくなったと思う。だって義姉ねえさんはずっと私に、酷いことばかり言うから。義姉ねえさんが要らないと置いていったディアンドルを着てたから……それが気に喰わないって髪を切られて。確かに私はあのお父さんの娘。だけど私、義姉ねえさんに悪いことなんてしてないのに」

 ──義兄が居ない場所ではいつもそうだった。暴力は振るわれないが、理不尽な罵詈雑言を投げ付けてきた。

 それらすべてを吐露すると、ヨハンは深く息をつく。

「イルゼ……」

 優しい声色だった。

 そうして、ヨハンに抱き留められると、涙が再びあふれそうになる。

「ごめん。俺、頼りなかった。こうも意地悪の範疇を超えているなんて思いもしなかった。実の妹のことなのに……」

義兄にいさんが謝ることじゃないわ」

「いや、リンダは血の繋がった妹だ。だから俺も同罪だ」

 ヨハンは抱き締めていたイルゼを解放して、苦い顔をして言う。

 そんな表情を見るだけで、イルゼはひどく胸が締め付けられた。

 ……ヨハンもリンダも親族と絶縁状態だ。

 母側の親族なり既に故人となった父側の親族だって頼る場所はあっただろうが、厄介事を避けるためか、縁を絶たれている。

 父が継母を殺めた時、ヨハンは十六歳。既に成人だった。リンダにおいても十四歳。

 自分のことくらい自分で解決できると見なされたのだろう。或いは、面倒事に巻き込まれたくなかったのだろうか……。

 理由は恐らく両方。二人だって、親族から見放された哀れな存在だった。

 否、ある意味自分より凄惨な立場だろうとイルゼも理解していた。

 だからこそ、理不尽にリンダに当たられたって、イルゼは我慢してきたのだ……。

 

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